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自給自足のすすめ~中学にはいかないという選択

Updated: Feb 16, 2021

みなさんこんにちは、初めまして!そして私のブログへようこそ!何年も前から考えていたことが実現できてじ~んとしてます。


さて、”中学には行かないという選択” とはなかなか激しいタイトルです、我ながら。私はいま23才なんですが、小学校を卒業したあと、義務教育というものを全く通過せずに非常にのびのびとここまでやってきました(現在ポルトガルのサーカス学校に在籍中)。

私はそんな自分の選択をこれっぽっちっも後悔はしていないし、今不登校でもし悩んだりしている方・親御さん・周りの方がいたら、”行かないという権利もある”という事について知って貰えたら幸いです。イギリス等では、ホームスクーリングも数ある選択の中の一つに含まれています。日本の教育システムが合わないなら他の方法を探せばいい、ただそれだけの事です。


さてさて、それでは小学校を卒業してからいったいなにをしていたのかというと、福井県にある萌叡生活塾というところで自給自足の田舎暮らしをしていました。

21才のときにそのことを綴ったエッセイで第2回アート&デザイン新世代賞特別賞を受賞。

以下にその全文を載せますので読んで頂けるとうれしいです!実際に応募したときは手書きだったので、少し雰囲気は違いますが。


ハジマリの青


私は中学校に行っていない。敢えて行かなかった。料理研究家になりたくて、それも一(素材)から作りたくて、まずは百姓になろうと思った。明るい不登校の誕生である。

そして、12~15才の多感な時期を私はよく笑いよく動くみずみずしい果実になって過ごした。

夜明けと共に起きだして鶏の世話をし、その糞を使って野菜を育てる。薪窯でパンを焼き、ごはんも作った。毎日が創造と革新の連続。

生きる為に鶏をさばき、食べる為に働いた。その時に私は思ったのだ。

”人間は、食べる為に働いている”と。春が来たら畑を起こし種を播き、夏には毎日草を取る。秋になれば、次来る冬に備えて実りを収穫し、そして又春が来る。

生きることは創ることであり、創ることは生きることと同じだった。


高校生になった私は、また学校を選ばなかった。町に帰った私は、ここでも畑を耕した。

そして初めて壁にぶつかった。どこを目指して歩いているか全く分からなくなった。

もがいてもがいて苦しんで、見えない敵と闘った。

初めて、自由が怖いと思った。他の人に憧れた。1人で生きることに恐怖を感じた。

固い殻に閉じ込もり、種になった私は、再び自分を土に植えることにした。

18才の冬だった。山に戻り、今度はたった1人でオフグリッドの生活を始めた。

電気なし、水道なし、車なしの超絶サバイバル。

水は、家の中にある井戸から汲み、目の前の土を耕し、薪を集めた。

夜は、ランプの灯りで本を読み、ごはんを食べた。

初めての1人暮らし。本当の孤独。夜の帳が下りたらそこには、私しかいなかった。

沢山泣いたし寂しかったけれど、同じくらい幸せだった。生きているのが大好きだった。


今、私の眠る場所は深い闇の中ではない。だけど、心の中には今も静かな夜がある。

これからやりたいこと。広い世界を見てみたい。色んな物を見てみたい。

そして、いつかまだ誰もやったことのないことに挑戦したい。

だから、これからも思いっ切り生きる。

井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る。

私の人生はちっぽけでとるに足りないものかも知れないし、誰の心も動かさないかも知れない。でも、私は揺さぶりたいし、勇気を伝えたい。カラフルな頭の中を表現して、太陽のように生きたい。

人生は、自由だし何をやっても構わない。私はそう思う。

これは勇気を形にして風を起こそうと思った私の作品。


                         西塔 藍







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